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墓石のデザインの歴史

墓石の起源は、仏教の創始者となるお釈迦様にまで遡ります。お釈迦さまのご遺骨は「仏舎利塔」に収められ、死後200年を経て、

インドの王アショーカにより、細かく分けられます。周辺国を含めて約8万あまりの寺院に仏舎利が分けられ、それぞれのストゥーパ(仏塔)に収められます。これが墓石の起源と言われています。ストゥーパは木製でしたので、次第に石製のものに変わります。平安時代の末期から鎌倉時代に入る頃には、武士が力を持つようになり、石碑や墓石を建てるようになります。

 

現在の墓石のデザインの原型は弘法大師が学んだ中国から持ち帰り、帰国後に建てた五輪塔が原型と言われています。五輪塔は、下から地・水・火・風・空という、宇宙を構成する五大要素を示しており、それぞれの形は方形、円形、三角形、半月形、宝珠形の五つの石を積み上げて塔の形にしています。現在の御塔婆にその形が残っています。

 

もう一つ、宝篋印塔があります。宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を写して納めた塔のことで、下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪(そうりん)から成り立っています。とくに鎌倉時代に入ってからは、密教系の宗派の人々によって、墓塔として盛んに建てられるようになっていきました。

墓石は、町人が力を持つ江戸時代になると、広く人々に普及しました。墓域や墓地全体の景観も整えられるなど、現代につながる墓制が確立していきました。墓石の形や大きさ、刻む文字は多様で、故人への供養の気持ちが込められています。さらには地域性、階層性、宗教性、時には故人の生前の遺言なども反映されました。

 

江戸時代の墓石は塔形・碑形・方柱形などさまざまな形をしています。細部の特徴や大きさはそれぞれ異なり、身分・階層や経済力などを表しています。碑形や方柱形といったシンプルな形の墓石は庶民にまで普及し、藩主や上級藩士は大型の碑形や塔形などを墓石としました。墓石に戒名や没年月日などの文字を刻むことが一般化したのは江戸時代以降のことです。故人の業績や建立者などを刻んだ例もあります。墓石の文字をみることで、その墓石に関わる人々の思いがみえてきます。

 

現在の和型のお墓のデザインは江戸時代に建てられた伝統的な形で、やはりストゥーパ(仏塔)を原形としています。 通常、芝台という敷石の上に、中台石、上台石、竿石、と重ねて1つのお墓になります。上の竿石から、 天(家庭円満) 人(人望・出世) 地(財産維持)を表しています。

洋型墓石は、和型より背が低く、少し横長になった形をしており、昭和に入ってから建てられるようになりました。和型墓石と同じように仏石(竿石、棹石)と台とで構成されています。欧米の墓石のデザインの影響か、総じてモダンな印象のお墓に仕上げられています。洋型墓石の場合は墓石に刻む文字も様々で、「○○家」のような場合もありますが、好きな文字一文字や絵など、その御宅を象徴するモチーフがデザインされているものもあります。銚子地域では、当社が初めて洋型デザインのお墓をご提案しています。

 

プレート型は、洋型墓石よりもさらに欧米の墓石、墓地のデザインの影響を受けて、公園墓地や樹木葬などに見受けられる高さのないデザインです。当社は20年ほど前に、ヨーロッパの美しい墓地の視察に赴き、国内でも先駆けとしてプレート型のお墓のご提案をしています。ヨーロッパにお住まいだったお客様のご意向を反映し建立いたしました。今では、樹木葬などの墓石のデザインは総じて低く、墓地の景観の保持も意識したものが主流となっています。

施工事例
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